そんなことはどーでもいいんだよ

「そんなことはどーでもいいんだよ!!」

目の前の老刑事は机をバンと叩き、そう言った。

私の目の前に座るこの老刑事の眉間には、歴史を物語る深いシワと鋭い眼光は数々の容疑者の口を割らしてきたであろう迫力がある。髪は白髪混じりであるが、そのグラデーションはこの職務の大変さを物語っている。

そう私は突如、刑事達に連行され、取り調べを受けることになったのだ。老刑事の背後の壁には窓があり、もれなく鉄格子が施してある。その窓からの日差しがとても強く、何気ない日常の大切さを訴えているようだ。また壁を見渡すと所々、何かを擦ったような黒い着色や傷があり、過去に厳しい取り調べか、容疑者の抵抗があったのかと憶測してしまい、この場にいる緊張感がより高まった。

この狭い取り調べ室には老刑事の他に、身長が高く短髪の爽やかな風貌の若手刑事が老刑事の傍に立ち、ドアの近くには事務的な雰囲気を漂わす書記官が机に向かっている。まぁ、刑事ドラマでよく見る光景である。しかも若手刑事は老刑事をかなり慕ってるようで、老刑事の言うことに「はい、はい」と力強く返事し、その有り余るエネルギーを今にもこちらにぶつけてきそうである。

しかし、これだけはハッキリしておきたい。

私は何もやっていない。本当に何もやっちゃいないのだ。確かに私は聖者のような人間ではない。過去には多少のルールを破ったことはあるが、法に触れるようなマネはいっさいしていない。だが、私を睨みつけるこの老刑事は何もしていないのにどこかやましい気持ちさせるからタチが悪い。さぁ、困った。本当に困った。そもそもこの取り調べ室にいること自体、裁きを下されているようである。犯人達はこの場において、なかなか口を割らずに粘れるなと思う。仮に私が本当に何かしていれば、すぐゲロするだろう。いや、刑事達が連行しに来た時点で白状をする。私は一応、潔い人間なのだ。

だからさっき、私は老刑事に自分を犯人扱いするなら、その証拠を出してみろと逆に言ってやった。そうしたら老刑事は机を叩き、「そんなことはどーでもいいんだよ!!」と感情を露わにしてきたのだった。

そんな老刑事は改めて口を開いた。

「お前は2日前の午後11時半頃、いったい何処にいた?」

アリバイか・・・。さぁ、困った。

刑事ドラマでよく知っているぞ。一人暮らしではアリバイの証明にならんことを・・・。それにその時間は、なけなしの金で買った大画面液晶テレビBlu-rayの大人の映像(DVDとは違うのである、DVDとは!!)を見ながら・・・、まぁ、これ以上をやめておこう。

老刑事は右手を机に置き、体を横向きにして、左手をだらんとさせていた。傍の若手刑事は腕を組んでこちらを睨みつけ、靴のつま先でを一定のリズムを刻む。革靴特有の底の硬さで音がよく聞こえる。これも取り調べのテクニックなのだろうか。

まぁ、私は何もやっていない。だから、ちゃんと答えるしかない。

「その時間は家にいた・・・。」

老刑事はその瞬間、カウンター呪文のごとく「それを証明する人は?」を唱えてきた。

まったく、マストカウンターである。クソ、Blu-rayの彼女をこの場に召喚する訳には行かない。でも、負け戦だと分かっていてもちゃんと答えるしかないのだ。

「いない。一人暮らしだ・・・。」

「じゃあ、その時間、家で何をしていた?」

そう来たか!!困った。

くそ、ここは嘘をつく訳にはいかん。いくらインチキな逮捕をされても、真実は何もしていないのである。これから私が答えることは、私が何もしていないが故のことだ。さぁ、恥を捨てて、私の真実を白日の下に晒してやる!!

「大画面液晶テレビで、A○を見てた!!それから"ナニ"をしていたか、察しがつくだろう(余談だが、ナニの部分のイントネーションは"ナ"が下で)!!」

その瞬間、書記官がプッと吹き出した。これが絶妙な緊張と緩和である。どんな時でもユーモアは必要だ。しかし、これはネタではない。真実なのだ。老刑事は私の言葉に呆気に取られていた。

それを察したのか、恩師をサポートするかの如く、若手刑事がこちらに身を乗り出して言った。

「どの女優のやつを見ていた!?」

「そんなことはどーでもいいんだよ、アリバイの話をしてんだよ!!」

老刑事は机を叩き、漫才のテンポで若手刑事にそうツッコんだ。それを受けた若手刑事は「す、すいません」と、引き下がった。

「お、お前、これは取り調べだぞ、今はそんなことは聞くな・・・。絶対にだぞ、絶対に・・・。」

老刑事は若手刑事になぜか念を押した。老刑事は仕切り直すように、「その時間は家でA○を見てたんだな!?」と確認してきた。父親くらいの年齢の人からA○という単語が飛び出すのは、実に複雑である。すると、若手刑事はまたこちらに身を乗り出して言った。

「ジャンルは!!」

「そんなことはどーでもいいんだよ、アリバイの話してんだよ!!」

また、老刑事は若手刑事にツッコんだ。

私の答えたA○は思わぬ効果を生んだようだ。その効果は場をカオスに変えたのだ。昔、某カードゲームではカオス、強かったもんな。懐かしいぜ☆。

「おい、あまりこちらの手を煩わせるなよ・・・。」

老刑事は低いトーンでそう言ったものの、もはや最初の迫力はない。だが、続け様にとんでもないことを聞いてきた。

「で、ジャンルは?」

おい、お前も興味あったんかい!!しかも、あの若手刑事がこちらを興味津々で見てるじゃねぇか。

まぁ相手は警察だ。ここで嘘をつくと後々、不利になりそうだ。なんか、よくは知らんが偽証罪だっけ?私は何もしちゃいないがそんなことで裁かれる訳にはいかん。しっかり答えよう。

「素人モノ・・・。」

「そんなことはどーでもいいんだよ、アリバイの話してんだよ!!」

そうくるんかーい!!そういや、書記のヤツ、肩震わせてるじゃねぇか!!

「おい、真面目に答えろよ、ここを何処だと思ってんだ。」

また真剣なトーンになった老刑事。切り替えが早すぎる。そもそも、これはお前が仕掛けたんだからな。

すると、横から若手刑事が「そうだ、ふざけるのもいい加減にしろよ。」と言ってきた。

なんか、すげームカつく。老刑事に言われるならまだしも、こいつに言われるのはほんとに腹が立つ。

「うるせぇ、調子乗んな、若造が!」

私は若手刑事に向かってそう言ってやった。

「そんなことはどーでもいいんだよ!!」

即座に老刑事はカウンターをかましてきた。

分かったよ、分かった・・・、俺が悪かったよ。

老刑事は腕を組みながら、ため息混じりで「2日前の11時半、お前は覆面を被り、拳銃でコンビニ店コンビマートの店員を脅して強盗を働いたんだ。まだシラをきるのか・・・?」と言った。

どうやら、私には強盗の容疑がかかっているようだ。当然だが私には全く身に覚えがない。いっそ、家宅捜査でもやって・・・、いや、そんなことされたら、私のA○コレクションが晒されることになってしまう。それはそれで困る。ここは家宅捜査されずに彼女達の秘密♡を守り、さらには私への容疑を晴らさなければならないのだ。

「いいのか、そんなんで・・・。お前、母ちゃんを悲しませるなよ。だから、正直に話しちゃくれんか?」

老刑事はついに切り札を使ってきた。"母ちゃん"である。きっと今まで、自分が取り調べしてきた犯人達には刺さったのだろう。所謂、殺し文句というヤツだ。だが、その手は食わん。私はやっていない。しかも、ムカつくのが"母ちゃん"という言い方である。何が"母ちゃん"だよ、カッコつけんな。どうせ自分で言って、自分で味があるとか思ってるんだろう。

ふと若手刑事に目をやると老刑事の"母ちゃん"という言葉を受けて、さっきまでの臨戦態勢から、こちらの心配するような眼差しになっていた。ここから取り調べの佳境という、さっきまでの激しい雰囲気からのチェンジオブベースを演出しているのか?あぁ、またムカつく。

そもそも、なぜ私を犯人だと断定したのか?そんな疑問が湧いてきた。

「ひとつ、聞きたい。コンビニの防犯カメラに私が写っていたのか?どうなんだ?」

「そうだ、お前によく似た背格好の男が強盗犯だ。それにお前はあのコンビニの常連だったな。」

「そうだ。歩きで行けるからな。だが、それで私を犯人と決めつけるのは早計だ。」

すると、「で、なぜ常連なんだ?」と若手刑事が聞いてきた。 

「なぜ常連って、そりゃ家が近いだけだ。他に理由はない・・・。」

「それだけではないだろう!!」

急に老刑事のスイッチが入った。

「こんな証言があったぞ・・・。」

「な、なんだよ?」

「お前はあのコンビニの女性店員に好意を抱いてるらしいな。それであのコンビニの常連になったんだな。まぁ、事件の時は別の店員だったが、お前はあのコンビニとは少なからず接点があるようだ。」

けっ、誰がチクりやがったんだ。

「まぁ、これは事件とは関係ない。その店員さんの何処が好きなんだ?聞かせてくれ。」

そう言った老刑事はどこか和やかな表情に変わっていた。いくらキャリアのある人でも、時折こういう話題を挟まないとやっていられないのだろう。よく取り調べで雑談があるとは耳にする。この取り調べではじめて緊張の糸がほぐれた瞬間だった。まさに一時休戦である。若手刑事も前のめりに聞きたそうにしている。

私は正直に答えた。

「まぁ、とても綺麗な人だよ・・・。」

バンと老刑事が机を叩く。

「そんなことはどーでもいいんだよ!!」

恥をかかされただけである。流石に"怒る(いか)る"だ。

「お前が聞いてきたんだろう!!どーでもよくねぇだろう!!」

「そんなことはどーでもいいんだよ、お前が犯した殺人事件の話してんだよ!!」

「罪が重くなってるじゃねぇかよ!!」

「人を殺していい理由などない!!」

刑事ドラマで聞くようなセリフを感情フルスロットルで吐いてきやがった。そんなことを言われる筋合いはない。私は机を思い切り叩いて立ち上がって言った。

「この冤罪刑事が!!」

すると、若手刑事が「落ち着け」と言って私の両肩を掴み、強引に椅子に座らせた。

呼吸が荒くなる。「落ち着け」と言われても無理だ。老刑事には疲れが見える。確かに年齢的なこともあるだろうが、取り調べは戦いでもある。相手を落とすために相手の反応を分析し、それからどんな切り口で攻めるかとか、常に張り詰めた気持ちでいるのだろう。だが、そもそも色々とバグっているのは向こうである。それにあの若手刑事も大変だよな。こんな訳のわからんおっさんの指導を受けているのだからな。

「おい、いい加減吐いたらどうだ・・・?」と、老刑事は口火を切った。だから私は敢えて、自ら切り出してみた。

「何のことだ?私が殺人でもやったかことか・・・?」

「そんなことはどーでもいいんだよ、コンビニ強盗の話をしてんだよ!!」

こいつどんな仕組みなんだよ!!でもまあ、元の容疑には戻った。いや、そんなことで喜んではいけない。私は何もやっていないのである。

「最初に言ったけどなぁ・・・、私はその日、一人で家に居たんだ・・・。」

若手刑事が「それじゃ、アリバイの証明にはならん。」と、忘れた頃に存在を主張してきた。老刑事はそれに続いて、「お前はやったのか?やってないのか、どっちなんだ?」と聞いてきた。だから私は答えてやった。

「"何"もしてねぇよ!!」

「オ○○ーはしてたろ!!」

老刑事から、とんでもない単語が飛び出し、書記官が「プッ」とまた吹き出した。そういや、アンタの存在もすっかり忘れていた。

もう訳がわからない。私にどうして欲しいのか・・・。

私は呆れ果てて、若手刑事に尋ねてみることにした。

「ちょっと兄さん、マジで聞きたいことがあるんだが・・・。」

「どうした?」

「アンタのおやじさん、本当にベテラン?」

老刑事は私の言葉に反応して、「そんなことど・・・」と言いかけたが、私は手で制し「ちょっと黙ってて」と、若手刑事に話し続けた。

「さっさと引退してもらった方がいいぞ。君も大変だろう?こんな人が師匠だなんて・・・。」

若手刑事は困った顔をしながら、「まあ・・・」と言葉を濁すだけだった。でも即座に否定しないということは、この若手刑事もそう思っているようだ。

すると老刑事は若手刑事に「おい、俺はお前が生まれる前から刑事(デカ)やってんだ!!そんな俺に対して、お前はなんと思ってるんだ!?」と怒りを露わにした。

だから、私は机を叩いて言ってやったんだ。

「そんなことはどーでもいいんだよ!!アンタが引退するか、しないかの話をしてんだよ!!」

ニュース

最近、物騒なニュースが続いている。それにこの日本だけでも何らかの事件が毎日毎日繰り返されているのだ。事件のインタビューでは犯人について「まさか、こんなことをする人とは思えなかった」というのが常套句になっている。

たまにはニュース番組で"今日は一日平和でした"みたいなことはないのだろうか?

直樹は登校前の朝、いつもそんなことを考えていた。そもそも登校前、ましてや社会人は出社前である。そんな大事な朝から陰惨なニュースをテレビから流すのはいかがなものか?たとえ、その朝がささやかな嬉しさに満ちた日のはじまりだとしても、無機質なアナウンサーから放たれる、とてもよく聴き取れる物騒なワードはゲリラ豪雨の如く、急激に心が不安の雲に包まれる。みんななぜ、当たり前のように過ごせるのだろうか。

そして何より気がかりなのは直樹の住んでいる地域で、グループによる強盗事件が連続で発生していることだった。幸い、被害者に怪我人や死者は出ていないが、どうやら犯人達は拳銃を所持しているらしい。物騒なニュースが身近で起きているのだった。

普通の高校生は楽しいことを考えるのに時間を使うのだろう。いや、仲間たちに囲まれていれば、そんなことを考える時間なんてないのかもしれない。だが直樹にはこれといった仲間はいなかった。

でも直樹にも心の拠り所はある。同じクラスの小澤恵理奈だ。ひし形の顔に切長の目、髪型はショートカットという風貌である。そのショートカットはかなり短めながら、右耳に髪をかけている。そんな小澤はみんなの輪の中に入ってはおらず、威圧感を放つと同時にどこかミステリアスさも持ち合わせている。小澤はカッコいいのだ。孤高の存在だ。そして、その小澤が時折見せる笑顔に直樹は何もかも奪われてしまう。

だが近頃、小澤の笑顔が少しずつ失われている気がする。多分、何かあるかに違いないが小澤の性格上、自分の悩みを気安く相談するタイプではない。でももうちょっと心を開いてもいいだろうと直樹は思っていた。直樹だって大切な人が悩んでいるのならば力になりたい。直樹は決して強くはなく、これといってスポーツが得意なわけでもないが、それでも小澤の笑顔は守りたいと決心していた。たとえ恐ろしい強盗グループに襲われてもだ。でも小澤に対して、直樹は自分の"想い"を打ち明けられずにいた。

昼休み、教室から少し離れた廊下のベンチで、直樹と小澤は昼食をとっていた。ここが二人の指定席である。

そもそも小澤と親しくなったきっかけは、このベンチだった。友達のいない直樹は昼休みを教室で過ごすのがあまり好きではない。ある時、直樹がこのベンチで昼休みを過ごそうとしていたら、小澤が先に座っていた。直樹は小澤と同じクラスなので、すんなり隣に座ることができた。それから、なんとなくお互いに会話するようになった。最初はぎこちなかったけど、不思議と徐々に打ち解けていった。

小澤がコンビニの鮭のおにぎりを口に運ぶ。直樹は何気なく、「いつも、それ食べてるな。」と言う。

「別に、いいじゃん・・・。」

小澤のちょっと低い声がどこか少し心に突き刺さる。

「べ、別にいいんだけどさ、飽きないの?」

「うん・・・。」

そう答えた小澤はおにぎりを食べ終えて、ストローで紙パックのカフェオレの吸いあげる。そして、おにぎりの包装をレジ袋に丸めて入れ、袋の持ち手をそのまま縛った。

「えっ、今日はそれだけかい?」

以前はパンやサンドイッチも食べていた。

「最近、食欲がなくて。」

「それは良くないな。一日もたない。」

そう言って直樹は自分の食べているメロンパンを半分ちぎって、小澤に分けようとした。

「気持ちは嬉しいけど、大丈夫。」

「そっか・・・。」

小澤の目鼻立ちのはっきりとした横顔に、直樹はなんとも言えぬ儚さを感じた。

夕暮れの河川敷、直樹はひとり歩きながら小澤のことを考えていた。直樹は何か考え方をするときは必ずここに来る。

小澤が何かを抱えてるのは間違いなかった。だが、その抱えてる何かを追求することはできない。自分が小澤の彼氏でもないのに、そこまで踏み込むことはなんだか憚られるし、無理に追求すると避けられてしまう気がした。それに小澤は他人の手を借りることを拒んでいるようにも見える。でも、ひとりで抱え込むなんて苦しすぎやしないか・・・。誰かを頼ったっていいじゃないか・・・。

川のせせらぎに耳を傾けたところで、心が晴れるわけじゃない。直樹のもどかしい想いは絶え間なく続いていた。

直樹は偶然、土手の芝からニョキっと生えている朱い彼岸花が目に入る。

なぜか、その彼岸花がやけに美しく見えた。

朝のニュース番組ではまた事件を報じていた。もう正直言ってうんざりする。アナウンサーはさも、深刻な表情で事件の内容を読み上げていく。どうせ次のコーナーでは「エヘヘ」と、笑ってるんだろう。

だが幸いここ最近、強盗事件は発生していなかった。もしかしたら、別の地域に逃亡した可能性がある。とにかく物騒な事件はもうこれで終わりにして欲しかった。

昼休みになり、いつものように直樹は小澤と過ごす。小澤はコンビニのビニール袋から、紙パックのカフェオレを取り出す。いや、"それだけ"だった。

「おい、飯はないのか?」

流石にまずい。そういや、小澤に笑顔はおろか表情も暗い。

「えっ・・・、まぁ、無いの・・・。食べたくない・・・。」

食べたくないって・・・。直樹の心配は頂点に達した。

「最近、様子が変だ。どうしたんだ?」

小澤は黙った。互いに口を発さない、どこかピリつきながらも、乾いたこの間が轟音の稲妻が落ちる前触れのようで、とても居心地が悪い。そんな時に限って教室の騒がしい声が響き渡ってくる。

小澤は「関係ないでしょ。」と、冷たく突き放した。

直樹は分かっていながらも、小澤にそれを聞いてしまったことを後悔した。確かに出過ぎたマネかもしれないが、彼氏ではなくとも、目の前の"友達"が困っていたら、手を差し伸べるのが人情ってものだろう。でも自分の下した判断は間違ってはいないが正しくもなかったようだ。

小澤は完全に人の手を借りることを拒んでいる。小澤はこのままひとりでボロボロになっていくのだろうか?それになぜ、ひとりで抱え込む?。

そんなことを考えた瞬間、小澤は飲みかけのカフェオレをゴミ箱に捨てるなり、その場から去ってしまった。

一人残された直樹はまだ昼食を食べ終えてなかった。いつものメロンパンを一口食べたが、まったく味がしない。しかも口の中の水分が全て奪われるという、なんとも相性が悪いのだろう。直樹は慌てて、ペットボトルのお茶で口の中のメロンパンを流し込む。直樹は小澤のように食べかけのメロンパンをそのままゴミ箱に捨てた。勿体無いけど、今は食べたくなかった。

このまま教室に戻ると小澤と鉢合わせしてしまうので、残りの時間を屋上前の階段で過ごすことにした。階段ならば座れるし、屋上には鍵が掛かっているため誰も来ない。今はとにかく、人のいない所で過ごしたかったのだ。

直樹はコンクリートの階段に腰を下ろし、身体を前屈みにしながら、組んだ腕を両膝に置く。何気なく顔を上げると、窓からの日差しがとても強かった。誰もいない、自分だけの世界の静寂。それはまさにさっき自らが小澤に犯してしまった罪を厳粛に裁かれてるようた。

このまま、しばらく時がすぎる。

直樹は考えた結果、贖罪のために放課後、小澤に自分の気持ちはぶつけることにした。いや、それしか思いつかなかった。たとえ愚策だとしても、このまま何もしなければ、状況がもっと悪くなる気がしたのだ。

昼休み終了間際、予鈴のチャイムのタイミングで教室に戻ると、小澤は席に座っていた。

普段も授業の内容が頭に入らないが、今日はいつも以上に頭に入らなかった。

放課後になり、帰り支度をするクラスメート達。みんな、これから放課後ライフを満喫するつもりだ。そんな中、直樹は意を決して小澤に声をかけた。

「小澤!!」

こちらの呼びかけに反応したものの、小澤はそのままカバンを持って急いで教室を出ようとする。直樹は咄嗟に小澤の左手首を掴んで、引き止める。直樹はこんな事をしている自分に驚いてはいたが、今さら引くわけにはいかない。

「離して!!」

「頼む、俺の話を聞いてくれ!!頼むから!!」

直樹は小澤の目をまっすぐ見つめる。人もまばらではあるが、この状況に周りのクラスメート達は驚いている。

「すまない、大声出して。でも、どうしても話を聞い欲しいんだ・・・。」

直樹はそう言って、思わず掴んでしまった小澤の手首を離す。

「わ、分かった・・・。帰りながらでもいい・・・?」

どうやら気持ちが通じたようだ。

直樹は小澤の帰り道について行き、その道中の公園に寄ることになった。

小澤は公園のベンチに座り、直樹はそのまま隣に座った。昼休みとまったく同じシチュエーションである。

「話って何?」

「小澤の触れられたくないことを詮索したことは謝る。でも、俺はどうしても小澤のことが心配になんだ。その理由を聞いてくれ・・・。」

「理由?」

「小澤が俺のことをどう思ってるかは分からない・・・。でも、俺にとって小澤はただの友達じゃない・・・。」

「えっ・・・?」

感情を表に出さない小澤が動揺している。

直樹は小澤の目をしっかりと見つめる。

「小澤が苦しめば俺も辛いんだ。だから・・・、その・・・、俺は小澤の力になりたいんだ!!」

直樹はそう言って小澤の両肩を掴んだ。小澤は直樹に胸に飛び込む。

直樹は恵理奈を強く抱きしめる。それに合わせて恵理奈も力が強くなる。

そんな細い肩で、ひとりで背負うなんていくらなんでも辛すぎるだろう・・・。

「一体、何があったんだ?」

恵理奈は俯く。そんな恵理奈を直樹はじっと見つめる。やはり、それを話すのには勇気がいるのだろう。直樹は恵理奈が話し出すのをじっと待ってた。

「あのね・・・。」

やっと恵理奈はその口を開いたが、その声はか細かった。直樹は恵理奈を顔をしっかりと見てうなずいた。

「私が小さい頃、ママが死んじゃったの・・・。だから、パパがひとりで育ててくれた。昔のパパはとても優しかった。でも、少し前にパパの会社が潰れてちゃって、パパは変わった・・・。お酒に溺れて、私に当たるようになった・・・。本当だったら、アルバイトでもしてなるべく、家にいる時間を減らそうとか考えたんだけど、それでもパパが心配で・・・。毎日毎日、ボロボロになってくようで・・・。」

恵理奈はそう言って泣き出した。まるでダムが決壊したように。今までの苦しみは相当なものだったのだろう。だが、それをこちらがいくら想像しても、本人が感じた悲しみには到底及ばない。だから、泣いている恵理奈をもう一度、抱きしめるしかなかった。

ひとりで背負うことはない。何のために俺がいると思う?

直樹は心の中である"決心"をした。

「家を教えてくれないか?」

「えっ・・・。」

戸惑う恵理奈。

「いや、これから家に入るとか、そういうことじゃなくて、何あったとしたら、すぐに駆けつけられるように一応、知っておきたいんだ。」

「分かった。一緒について来て。」

直樹は恵理奈の家が学校から近いことは知っていたが、詳しい場所についてはよく分からなかった。

「行こ・・・。」

恵理奈は左手を差し出す。直樹はうなづいて、恵理奈から差し出しされた左手を、右手で握る。直樹は恵理奈と手を繋いだことで、初めて自分の存在がこの世に認められた気がした。でも決して、この状況は楽しいものではないが・・・。

恵理奈は住宅街のなかにある、黒い屋根と灰色の壁の二階建ての一軒家を指差した。外観はものすごく立派な造りであったが、その主(あるじ)はどうしょうもない人間である。皮肉なことに。

直樹は恵理奈の家を指差して、「今、いるのか?」と尋ねる。

「多分、居ると思う・・・。」

直樹は恵理奈の"多分"に全てを賭けた。直樹は恵理奈の手を離し、家に向かってダッシュした。背後から恵理奈の「待って」と引き留める声が聞こえるが、そんなことはこの際無視するしかない。ドアノブをガチャガチャやると、鍵は閉まっていなかった。またとないチャンスだった!!直樹は履き慣れた運動靴を手も使わず、足だけで脱ぎ捨てて、居間に向かった。

「あん?誰だお前?騒がしいヤツだな・・・。」

そこにはソファーにもたれ掛かり、テーブルに足をかけている、ひとりの娘の父親であることを忘れたグレーのスウェット姿の哀れな中年の男がいた。直樹は黙ってその男を睨んだ。

すると、血相を変えた恵理奈がやってくる。

「おい、恵理奈!!なんだコイツは!?お前の男か?こんな礼儀も知らねぇヤツを連れてくるんじゃねぇよ!!」

その言葉に直樹の怒りは頂点に達した。

「オレはアンタに言いたいことがあってここに来た!!」

「あん!?なんだ言ってみろ!!」

哀れな男はそう言ってソファーから立ち上がり、ビールの空き缶を投げつけてきて、左肩に当たる。そんなものなど痛くも痒くもないが、一瞬、アルコール特有のつんとした臭いがした。

「アンタに父親の資格はない!!いくら自分が大変でも自分の娘に当たるのは許せん!!いや、絶対に許さない!!」

「なんだと!!コラァ!!」

そう言って直樹に掴みかかる、哀れな男。

「やめてよ!!二人とも!!」

泣き叫ぶ恵理奈。

直樹と哀れな男はお互いに胸ぐらを掴み合っている。その瞬間、直樹は肋あたりに強烈なボディブローを食らう。息ができなくなり、あっけなく戦意喪失してしまう。そう言えば、自分の親父にも殴られたことはなかった。

その場でうずくまる直樹は制服の襟を掴まれて、顔面に何発もパンチを喰らう。

恵理奈が全力で哀れな男を制する。直樹はなんとか逃げ出すチャンスを得て、恵理奈の手を引っ張り、家を飛び出した。

無我夢中で走ると、さっきの公園にたどり着いていた。あたりはすっかり暗くなっている。公園の外灯が暗闇を照らす。

ベンチに座る直樹と恵理奈。

「私のためにこんなことに・・・。」

直樹は何発も顔を殴られ、自分の顔がどうなっているかは分からないが、多分、肋は辺りは軽く骨折はしているようだった。

直樹はただ黙るしかなかった。

自分の痛みなんかどうでもいい。だがこんなに苦しんでる"彼女"がいるのに、自分の力だけではどうすることもできない。こんな世の中は確実に腐っている。直樹はただ悔しかった。この悔しい気持ちを口に出すことすら、今の直樹にはできなかった。

恵理奈は黙って直樹の左手の上に右手を置き、そのまま握る。直樹は恵理奈の優しさを感じながらも、それに浸ることはできなかった。直樹は俯いた。それにこのまま恵理奈を家に帰すわけにはいかなかった。もし、このまま恵理奈を家に帰してしまったら、逆上した父親によって一体どんな目に遭わされる分からない。

直樹は顔を少しだけ上げた。すると遠くの茂みに違和感を感じる。直樹はベンチに座りながら、茂みの方を見続けた。

「どうかしたの?」

「いや、なんか、茂みの方に何かある気がする・・・。」

立ち上がった直樹は恵理奈を連れて、茂みに向かった。

茂みに近づくと、茂みの向こうで靴が二つ縦になり、その先に何か伸びているのが見えた。

いや、ちょっと待て、これは人だ!!

直樹と恵理奈は急いで茂みの向こうに向かうと、黒のロングTシャツに黒いズボンという、いかにも怪しい男がうつ伏せで倒れていたのだ。背中には血が染み、地面には血溜まりができていた。それを見た恵理奈は口を手で覆い隠して震えている。

直樹は男が血を流していることに捉われていて、なかなか気がつかなかったが、よく見ると男の右手には拳銃が握られていた。

ここで撃ち合いがあったのだろうか?

直樹は意外に冷静にこの状況を受け止めていた。しかし、ぐつぐつと心の中で何かが再沸騰してくる。

自分の目の前に一丁の拳銃がある。

拳銃・・・。

拳銃があれば、自分よりも強いものを一発で仕留めることができる・・・。自分よりも強いもの・・・。自分は決して強くはない・・・。でも、拳銃さえあれば一発で殺せる・・・。そう、一発でいいのだ・・・。一発で!

さぁ、誰を殺す・・・?

直樹は恵理奈に目をやる。

そうだ、アイツしかいないだろう!!この世はまだ腐っちゃいなかったんだ!!

直樹は倒れている男の拳銃を取り、すぐさま走り出す!!

「待って!!」

恵理奈の声は今の直樹に届かない。それはさっきも同じである。

銃の正しい使い方なんて分からない。ただ引き金を引けば、確実に弾丸は発射される。そうすればアイツを殺せる。アイツは生きていてはいけないんだ!!

直樹は急いで恵理奈の家に向かう。背後(うしろ)なんて振り返っている暇はない!!

直樹は恵理奈の家にたどり着く。運良く、また鍵はかかっていない。愚か者め。そのセキリュティ意識の低さが仇となったのだ!!直樹は土足で居間に侵入。すると、哀れな男が台所の冷蔵庫の前にいた。手に缶ビールが握られている。

「また、お前か!!」

しかし、哀れな男は直樹の手に握られている物を見るなり、様子が変わった。

「お、おい、ちょっと、待て・・・。」

おいおい、さっきの威勢の良さは何処に行ったんだ?お前は本当に哀れなヤツだ。

「な、なんでそんな物騒なモノを・・・、いや、オモチャだろう・・・!?」

「これがオモチャに見えるか?だったら、試してみるか!?」

直樹の凄みにいとも簡単に圧倒されてしまう哀れな男。直樹は震える手で銃口を哀れな男に合わせる。

「や、やめてくれ、なぁ!わ、わかった、これから恵理奈に優しくする!!なぁ、だから撃たないでくれ!!」

命乞いのためにそんなことを言ってもダメだ。もう、遅い!!

「覚悟しろ、この毒親野郎!!」

「やめて!!」

恵理奈がやってくる。

「来るな!!コイツは生きていてはいけないんだ!!君の人生を蝕むダニと同じなんだぞ!!この野郎は君の父さんなんかじゃない!!最低のクズだ!!」

「今はそうかもしれない!!でも、昔はそうじゃなかったのよ!!」

何故、庇う?自分がコイツに苦しめられているのに・・・。

「え、恵理奈、コイツを止めてくれ!!頼む!!」

ますます死んだ方がいい。自分が助かりたいがために娘に懇願するとは。

直樹は震える手で銃口を向け続けた。

「こんな解決の仕方は間違ってるよ!!正気に戻って!!」

「じゃあ、他にどんな解決の仕方があるっていうんだ!!」

もう後には引けない。

「や、やめてくれ・・・。」

「その人は私のパパなの!!何があっても!!だから、殺さないでお願い!!」

私のパパ・・・。

直樹は銃を構えながら、背後にいる恵理奈に目をやった。

「お願い・・・。」

恵理奈は涙を流して、自分を酷い目に遭わせている父親を必死に救おうとしている。なんて優しい子なんだ。そうだよな、何があってもパパに変わりないよな・・・。

アレ・・・、腹がなんか変な感じがする・・・。そう思った瞬間に気づいた。たった今、恵理奈の父親に包丁で刺されていたのだ。

「いやあああああー!!」

恵理奈の絶叫が響き渡る。

直樹は刺されながらも、左腕で父親をヘッドロックで押さえ、逃さないようにした。そして父親のこめかみに銃口を当てて引き金を引く。パンと音をたてて、薄汚れた壁が真っ赤に染め直される。直樹も返り血を浴びているが、もはやどれが誰の血かも分からない。そして左腕の力を抜くと、父親は遊び終えたマリオネットのようにクタッと床に崩れ落ちる。

恵理奈は放心状態で、膝からその場にへたり込んでいる。

ごめんよ、恵理奈・・・。

直樹は腹を押さえながら、その場を飛び出す。

なぜだか無性に川に行きたくなった。
直樹は川に向かうが、少しずつ自分の感覚がおかしなっていく。ふらふらして真っ直ぐ走れない、視界が霞む、頭がぼーっとする。

「あと少し、あと少しだけ、もってくれ・・・。」

一人呟いたが、その声に力はない。

人通りのない夜道、直樹は自分の生命をぽたぽたと流していることを自覚しながら、必死に歩む。

やっとの思いで川の土手にたどり着く。もはや、足の力では土手の傾斜を登り切ることはできない。必死に手を突きながらも這い登る。血だらけに泥だらけ。直樹は土手を登り切り、左手で腹を押さえながら川の流れを眺める。

「恵理奈・・・。」

やっとの思いで伝えた気持ち、束の間の彼女・・・。直樹の頭の中では自分の人生の決定的瞬間がジェットコースターのように駆け巡っていた。

だが、舗装されたアスファルトに真っ赤な血がポタポタと垂れ落ちている。これが直樹が犯した本当の罪を物語る。

直樹は目をつぶると同時に全ての力が抜けて、土手から転がり落ちる。川岸の草むらに倒れ、それからピクリとも動かなかった。

川のせせらぎが絶え間なく続き、朱い彼岸花が咲き誇っている。

朝のニュース番組で連続強盗グループが仲間割れを起こしメンバーのひとりが射殺され、その後、その現場付近で高校生が同級生の父親を銃で殺害し、死亡するという事件が報じられた。
インタビューではその高校生について周囲の人物は、「まさか、そんなことをするとは思えなかった」と答えていた。

そして、アナウンサーはニュースを読み終えると、次のコーナーで笑顔を振りまいていた。